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悲しき軽運送屋の顛末記-29 [顛末記]

E運輸には、年に一度のイベントがある。ここは「クビ?」になったはずであるが、この時ばかりはD軽運送、殆ど全員の会員が参加するのだ。他にもA・B社などの各軽運送協会からも出向いてくる。
時期は冬、クリスマスやお正月に呼んでくれる訳ではない。その後にある「大学入試センターテスト」の一日後、この辺一帯の高校および予備校にその問題を配るのだ。来年受験の人達の予行演習用なのだろうか。それとも受験生の確認のためか。どのくらいの数があるのだろう。


★Photoはイメージです。

この仕事には空港の面々も集まる。懐かしい顔もいる。勿論知らない人も…とにかく、この仕事は時間が厳しい! 学校が始まる前に届けなければ何の意味も無いのだ。一時間目からのテストに間に合わなければアウト。
配達区域を決められる。そうして何校、受け持つかもその人の能力次第。その分、回る学校が多ければ収入も増えるが、そんなに沢山配達できるわけは無い。

届ける時間は午前5:00に出発、8:00には終了しなければならない。出来るだけ地元の知っている高校を優先されるが、関東一円と思われる中、E運輸の「ここ」の営業所は千葉県一帯が担当だ。割り当ては大体平均3~4校である。私が千葉県のこのイベントに呼ばれるのは成田にある「空港」に通っていたから。このあたりが詳しいと思われたのだ。どちらかといえば県外が多いのだが、そこはこの仕事が結構、率の良いことを毎年やっていて知っているからだ。でなければ嫌味を言われて出された会社などに協力するわけが無い。いくら人の良い私でも。しかし、この時ばかりは私に対してもE社の所長も愛想が良い。

私が受け持たされるのは毎年、房総半島の下のルート。木更津・館山・鴨川までの比較的、距離のあるコースだ。走りがいがあるが多分このグループで一番の高額収入になるだろう。しかも、一番多い6校だ。間に合わせるには、我が愛車のターボを利かせて高速館山道を飛ばすしかない。と言ってもスピード違反はご法度…もう時効だから良いか、高速で走る!! (何キロかは秘密)。でなければとても行き着かない。

この仕事、配達だけではない。テストが終わったら回収してこなければならない。採点もこのシステムを運営している会社の代金の内に入っているのだ。そうして、遅くてもE運輸の営業所に午後の6:00必着だ。しかし、テストの終わる時間はマチマチ。試験の科目数によって(高校が頼んだ教科はその学校によって違う)、昼ごろに終わるところもあれば3:00までかかる場合もある。鴨川が3:00終了とすれば、その用紙を学校の先生が回収して私に渡すのが3:30にはなる。残り二時間半で営業所まで帰らなければならない。これはギリギリの時間だ。もし、渋滞や事故が発生すればとても間に合わない。その為に帰りのルートも熟知して、いくつか臨機応変に使えなければ出来ないコースなのだ。幸いこちら方面に親戚が2箇所あるので、裏道・山道・抜け道を知っている私は絶好の人選だ。

[こんなことがあった、その27]
午前5:00の道は空いている。快適な走りだ。十数分後に高速道路に乗っている。
まずは木更津まで約30分。そこに3箇所、うち予備校1・高校2箇所である。予備校は閉まっている。だが、この日のために早くから来ている職員が居るはずだ。早く受け取ってもらわないと次へ行けない。抜かすわけにはいかないのだ。10分ほど待っていると車が到着、関係者と確認して渡し、確認印を貰う。と、次に急ぐ。私立の高校には門衛がいる。受け取ってくれるわけではなく、こちらが入校手続きを書かなければならない。業者には厳しいのだ。これも時間が惜しい。公立の高校は職員室へ届ける。この「職員室」を見つけるのも一苦労だ。何箇所もある。そのうちの係りの先生に渡さなければならない。木更津だけで一時間を費やす。

次は君津一箇所。そろそろ運動クラブの朝練の生徒が登校してくる。横目で見ながら走って届ける。途中「お早うございます」と挨拶をしてくる。しかも生徒全員が。そう指導されているのか、本当に心から礼節を重んじているのか…わるいが、少々うっとうしい。返事をしている暇に手渡したいのだ。

5箇所目は館山の高校。ここは先生もまだ登校していないのか、呼んでもなかなか出てこない。「んー困った」とりあえず生徒を捕まえて、先生を連れてきてくれるように頼む。10分でも長く感じる。担当の先生ではないが、とりあえず「必ず」と言うことで頼むことにした。最後が間に合わなくなるからだ。学校なので地図上でも迷うことは無い。道順はスムーズだが、先生の連絡が悠長だ。その学校だけ届けるのならそれで良いが、次があるのだ。先生はそのことを知らないのだから仕方ないか。

★Photoはイメージです。

最後の鴨川にはギリギリで着いた。逆にこちらは「待ってたんだ」「遅いじゃあない」と言いたげ。しかし、無事配達は終了。が、これでゆっくりと言うわけには行かない。また、木更津の予備校にUターンしなければならない。
今度は集荷だ。別に早く貰っても次の高校に行くのは一時間の間があるが、指定されている時間を守らなければ信用問題だ。休む暇は無い。また2時間かけて最初の場所へ…

軽運送をやっていて食事のことを書いたことがなかった。まさに不規則なのだが、朝出のときは「おにぎり」を作ってもらう。外食は収入に影響する。また、時間が無い時に走りながらでも、かぶりつけるメリットがある。後はお茶を魔法瓶に入れて持ち歩く。これが殆どだった。家に居る時は当然、内食だが、家に帰れず深夜まで及ぶとコンビにしか頼りになるところがない。食堂なんてとんでもない。贅沢は出来ない軽運送である。
高速道路のサービスエリアでも、レストランを横目で見ながら軽食コーナーに足を向けるのである。

集荷の最後、鴨川を午後3:00に出られた。融通の聞く先生だ。早く帰れる。帰りは山道だ。高速は最後の2区間だけ。房総半島を斜めに横断すると、ぐるっと回って高速道路で帰るより早いのだ。
たまに、山道でラリーまがいの車が走っている。その時も後ろに着かれた。ステッカーをベタベタ貼った走り屋である。しかし、私も一応プロの端くれ。運転経験は20年以上。しかも山道には有利な幅の狭い軽自動車にターボ付き4WD。「負けるか」と離しにかかる。後ろを着いて来るほうが断然有利なのは免許を持っている方なら分かると思う。前方の見切りをしなくて良いからだ。それを振り払うのが面白いのだ…とここでテクニックをひけらかしても軽運送の主題から外れるので記さないが、バックミラーから見えなくなったのは確かだ。

と思っているうちに帰路も、ほぼ終了。後は高速で営業所まで。こちらもまたギリギリ。待ってましたと全て集めた解答用紙を担当社員が試験会社に持っていく。これで終了。普通商品を載せている間だけが距離として計算され、料金になる。が、今回は往復だけではなく、一度木更津まで引き返した距離も全てが加算される。最初に書いた「率が良い」とはこのことだったのだ。

どうして、この仕事をブログに書いたかと言えば、実はこれが私の軽運送業、最後の業務だったのだ。
そう、私はこの時期5年を迎えようとしていた。顛末記の最初に書いたように会員を、ほぼ1年で辞めさせなければ効率の悪いD社に長く居過ぎたのだ。この後、私には一切仕事が回ってこなかった。何回催促にD社事務所に行っても曖昧な返事しか聞けなかった。決して「辞めたら」とは言わないが。

毎日、自宅に居る時間が過ぎてゆく。私はいよいよ覚悟を決めなければならなかった。「待っていれば何とかなる」なんて甘いことは考えられない。D社、社長の魂胆は判っている。こんな事をしていてもストレスが溜るばかりだ。といって今まで関わったところへ顔を出しても、多分手が回っているだろう。営業が出来ないからロイヤリティを払ってこの協会へ入ったのだ。今更知らないところへどうして、仕事を貰いにいけるだろう。しかもその当時、不景気の真っ最中。さらに軽運送の車が街に溢れている。一匹狼で入り込む余地はない。
今まで忘れていた本業を私は考え始めていた。


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コメント 2

mobile200x

現実は小説より面白い・・
失礼ながら、結構楽しみに見ております
by mobile200x (2006-05-26 20:46) 

tom-d1951

こんばんわ。
何よりの褒め言葉です。
折角読んでいただいておりますが、
残念ながら次回で本筋は終了です。
本当にありがとうございました。
とはいっても、これからも下手な文章は続きますので宜しくお願いいたします。
by tom-d1951 (2006-05-26 21:01) 

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