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悲しき軽運送屋の顛末記-30 (一応最終話) [顛末記]

この一ヶ月、一気に書き上げた。今回を一応の最終話にしようと思う。まだまだ書くことはできるが、後はエピソードというよりは日々、配達に流されて愚痴ることばかりなのでこの辺で終わりにする。今、突然に飽きたからとか、面倒になったから終了というのではなく、はじめから30回でと考えていた。
最初からストレス発散のためなので、文字にすることで溜飲を下げた感がある。毎回が長く、読むのも飽きる文章に、たとえ一行でも目を通していただいた方には感謝に絶えない。


★Photoはイメージです。結局招き猫は後を向いて去っていきました。

最後は「総括」と言うことで、順次書いてきたものと重複するところが多々あると思う。

資金調達は車代、ロイヤリティと当面の生活費を含めて350万。収支は開業から2年目までは年商、約250万以降、次第に減少傾向で平均200万の年は良いほうだろう。その内経費のガソリン代・高速代・車検、点検修理代・税金全般を50%として、半額が純利益だ。最高でも50万の売り上げなので、月々にすればよいときで25万~わるい時で8万くらいか。とうとう広告の70万は1回も達成できず、これ以上の売り上げや純利益を得られた経験者は幸運である。また、そうとうの努力家でもある。

就業時間は不規則、サラリーマンには当てはまらない、また自営業でもこれだけマチマチな時間に動く商売は珍しい。休日は基本的に無し、が待機中の時を思えば拘束をされてはいるが休みといえる。早朝から深夜まで、時には徹夜で運転し、寝ずに職場に帰還する非常に不健康な仕事である。その逆に一日中、待機場で世間話に終始することも多々あり(睡眠をとることは出来ないが)、日給とか、月給のように安定はしていない、完全歩合制。

人間関係はといえば会員同士の付き合い方、荷物を出す運輸会社の担当者への接し方、軽運送の手配係との関係、最後に荷主つまりお客への態度と、自営特有の八方美人的努力も必要なのだ。

当時は行きかう車のうち、一日に10台以上は軽運送関係車を見た。現在、街で見かけるのはせいぜい一日2台。私が撤退した後の空港では50台くらいが車を連ねて待機しており、運送料がとうとう東京まで6,000円を切ったと風の便りに聞いたことがある。それでも仕事にありつける会員は10人前後だとも。

ここまで「本当のこと」「裏話」を読んで「軽運送業」をやってみようと思う人はよほど肝の据わっている方か冒険の好きな、または余裕があるが余暇を楽しむ好奇心の強い人である。だが、くれぐれもこれは当時の話、今の現状は定かでない。

その後の私は、仕事ゼロの日々をすごした後、車を売却した。ディーラーに持って行き査定を頼んだが、営業ナンバーをつけた車は基本的に取らないとの見解。外見は新車同然の艶を保っていたが、走行距離は30万キロを越えているのである。やはり転売は難しいのであろう。
ダメもとで全国展開しているGショップに行ってみる。「綺麗に乗ってますねぇ」で15万。廃車料を払って捨てるよりマシか。と、もう少し欲を出して「どこよりも高く買い取ります」のキャッチフレーズを載せている広告を見てワザワザ少し遠くまで出向いてみる。くるまのH屋、あまり大きいところではない。最初は10万という。「Gショップで15万だといっていた」と言うと(私も正直だ、もう少し高めに言っておけばよかった)、では15万でとのたまう。それでは同じでしょう。どこよりも高く…なのだから、と言うことで16万で手を打った。諸装備を入れたら新車の十分の一だ。ま、これだけ乗ったのだから値がつくだけよいか。余り稼げなかったけど…

本来ならD系運送社との間で退会の書類を取り交わさなければならないはずだが、私には言い出せなかったのか、いまだに何の連絡もない。まだ会員なのか…とっくに車が無いので今更という感じではあるが。
その一年後には地元にあったD社の営業所が閉鎖。その他の地域も順次、無くなっていき、募集広告も姿を消した。そういえばA社・B社などの軽運送事業を運営している業者もあれだけの説明会を開催していたのに、無くなったり、回数が極端に減っている。
ある時、D社の会員に偶然会った。その当時の状況を聞いてみたところ、全ての営業所・会員を整理して、結局「空港」近くだけに営業所を残し、細々と地元の会員を募集しているとの事だった。
長持ちするはずはないとは思ったいたが、整理された会員にはタマッタものではない。何十いや、何百人が犠牲になったのだろう。その一人が私だが。

遊んでいられない。本業に帰るしかないと私は考えた。しかし、私の仕事はシステムが180度変わっていた。賢明な人なら私の本業を見抜いているかもしれない。
一年かかって、勉強のしなおし。勿論、投資もしなければならない。ここからの試練は軽運送と同等か、それ以上の努力と悪夢の結果が待ち受けていたが、その話はまた後日できれば書こうかと思う。現在進行中なので現実的になってしまい、今はまだ発散できない…

たった30回、どんな方に読んでもらったのだろう。軽運送の経験者? これから従事しようとしている人? それとも軽ではない運送業の関係者かも。「こんなことはないよ」とか「バカみたい、こうすればいいのに」とか「本当にこうなのかぁ?」などと思われた方もいるだろう。ヒョットすると一人も読まなかったかもしれない。それはそれで良い。私はぶちまけた。本当は実名を挙げても良いかと思ったが、それでは中傷記事にしかならない。少なくても私の顛末記なのだから…
只今の総閲覧数2,300件余り、全ての数字を信じているわけではないが、私の自己満足には余りある方々だ。

次回からは思いついたことを、ポツポツ書いてみようかと思う。

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