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悲しき軽運送屋の顛末記 (番外編-C) [顛末記]

6月に入った。どの新聞・TV・このブログでも駐車禁止取締り、民間委託の話で持ちきりだ。運送業者も防衛策を必死で考えているらしい。

駐車禁止区域での駐車には配達の場合、5分以内の荷物の積み下ろしは適用されない。と教習所で教わった記憶がある。それ以外は運転手が乗っている場合は停車となるんではなかったか? (私が自動車運転免許証を取得したのは30年以上前なので…忘れてはいけないことだが)


★Photoはイメージです。

違反取締りが民間委託になれば営利主義(今でも多少そんなところはあるが)が増長するだろう。委託会社の社員にはノルマも課せられるかもしれないし、最初の一ヶ月はそれはもう混乱の毎日ではないだろうか。これは余りにも理不尽な変更だ。政治的に「天下り」の受け入れ企業になっている現状もあるが。そんなことよりもトイレに行きたくなって1分止めても、買い物に3分で本屋から目的のPC月刊誌を買って帰ってきてもシールを貼られたら違反では現実的ではない。
その為に街中の駐車場に止めて、最低150円では消費者(国民)にとって実質商品の値上げと同じ。儲かるのは委託会社と警察=国と言うことになるのか。

決して違反を肯定しているわけではない。中には交差点内に平気で止めてあるとか、すれ違いが出来ないような狭い場所に駐車している車には、私も腹が立つ。
「違反は違反だ」と言う潔癖な御仁もいると思うが、特に運送業者にこの法律を適用するなら物価の高騰、ひいては経済的打撃でまた不景気に突入する懸念もはらんでいる。

2人乗りで運転手を残しておくとか、コイン駐車場にいちいち入れるとか、ルート先の近くの駐車上と契約するとか、それの経費がかさむ分、商品に上乗せされるのでは、車の運転をしていない人、駐車禁止にならないように努力をしている諸兄にも商品購入と言う形で影響してくる。それで良いのか、議員さんや関係所轄の決定権のある方はそこまで考えているのだろうか。(もっとも、その方たちは庶民より何倍もの高給を得て、送迎の運転手つきの車で動いているのだから影響は無いだろうが)

私は今や別に運送業界の回し者(関係者)ではないのだが、それでもこれからの行く末が心配である。特に軽運送の人達は二人乗車でとかは論外、駐車場へ止めれば自前である。その分運送料に上乗せできない弱い立場でもある。なんにでも例外がある…となる可能性が取締り側にあるのだろうか。たとえば運送車は荷物の配達については免除とか。
この意見に反対される方もいるだろう。が、郵政省の「ゆうパック」を配達する車は対象外なのだ。同じ軽自動車で、同じ配送。郵政省は業務に支障が発生すると言う理由で免除、普通の軽運送は取り締まりの対象とするなんて法の下の平等に反してはいないだろうか。

人間は次第になれていく。原油が上がれば物価も上がる。それと同じで駐車禁止の対策で同じ事が起きても、慣れてしまえば締め付けられながらも、それなりに生活していくのだろうか。
昔、バブルが弾ける一因として消費税があった。今、皆当たり前のように払っているが、周りを見ればリストラ、雇用減少、一握りの勝ち組のための多数の負け組=貧富の格差現象が起きていることに気がついていないのか? それは軽運送を辞めて十数年経った現在も「改善されていない」と感じていることなのだが。

私が若い頃には学生運動とか、国民は不満に思ったことを口に出してデモを起こしたものだ。それが世論を動かし、政治家も耳を傾け、方向を変える事もあった。古来から民衆は一揆などで主張したものだ。それが歴史なのだ。今の人達、特に若い力のある人が「おとなしい」。それは現状に満足していると言うことか、それとも気力が無いのか。
私は 反体制の政治的先導者ではない。勿論、「右」でもない。ただ現状をみて憂いているだけである。(ブログという「おおやけの場」に準ずるところで、こういうことを書くのは危険なのか、別に他意はない気の弱い人間なのだが)

私にしては、少し「こむずかしい」話をしてしまった。皆が平穏な暮らしを望み、幸せならそれでよいのだが。偉そうに「負け組」(しかし一番敏感に世情を感じていることは確か)の言うことではなかった…

●こちらもどうぞ-----------------------------------------
幼い時の私的思い出 tom room:「あえぐ夢」 懐かしき私の昭和


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mama-witch

 nice &コメント、ありがとうございました。
 私も団塊の世代のひとりです。学生闘争真っ只中に青春時代を送りました。決して過激派ではありませんでしたが(笑)。
 あの頃大学生たちは活き活きしてました。でも、大学生以外の若者はどうだったのでしょう。私も学生のひとりだったので、同世代の、学生以外の若者達の事が、よくわかりません。確かあの当時、集団就職云々というニュースを、頻繁に見聞きしていたような・・・。
 それに、10.21 でしたか、新宿闘争と呼ばれた事件の時、私は大学生で、電車の中に取り残され、プラットフォームを逃げ惑っていた時、闘争学生達をぶん殴る、同世代の警察官の姿に、胸が張り裂けそうになりました。
 あれは決して政治闘争なんかではなかった。私には階級闘争のように見えた。バカヤロー、コノヤローと罵りながら、大学生を憎んで殴りつける中卒・高卒の若者達の、個人的感情の爆発のように見えた・・・。
 そして中国の天安門事件・・・。昔とは比べ物にならない情報社会が引き起こした、共産圏の学生闘争。大衆の間をつなぐ情報交流は、もう誰にもとめられないと思います。
 物書きとして世の中を見渡していると、政治は変わりつつあるのではないでしょうか。過渡期はいろいろあるけれど、情報環境が整い、インフラが整備されていくと、大衆が本来の力を取り戻し、個が、時によってはアッというまに群集となる時代が、目前に来ていると思うのです。情報社会は一種の監視社会ですし、政治家達もうかうかしてられなくなりつつある(笑)。まあ、恐い面もありますが、いずれは「これが普通」という時代が来るのでしょう。
 そうなると、いつの時代でも、個人の冷めた目と行動しか、世の中を変えていくパワーはないと思うんですが、どう思われます?
 すみません、長々と・・・。また遊びに来てください。こんどは詩のページでお会いしたいですね。『はつこひ』なんかいかがでしょう(笑)
by mama-witch (2006-06-02 15:37) 

tom-d1951

こんにちは、コメントありがとございます。
多分同じ世代ではないかと思います。私も参加した経験がありますから。
確かに終盤は酷いものがありました。思想などのかけらも無かったような…
でも、あのエネルギーは社会を変えたのではないかと思っております。
学生だけでなく、社会人も活気があり、主義主張を声高に訴えていた時代でありました。
確かに世界情勢を見ても「過渡期」に多々ある現象ですが、では日本は安泰になったのでしょうか。飼いならされた国民に変貌したように感じます。
個々は不満を漏らしますが、自分がターゲットになるのを嫌う「良い人」になったのは私も同様です。
プログも一種の情報伝達手段であり、このように弱い個人でも発信できる利点はありますが、それがアクションを越す一つのキッカケになり、良い方向に変化していくと良いですね。
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お招きありがとうございます。是非、伺わせていただきます。
by tom-d1951 (2006-06-02 18:31) 

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