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「あえぐ夢」 懐かしき私の昭和 幼年期-11 [思い出]

黒川家には、良く人が集まる。昼間から夜まで…
これも、おばあちゃんの人徳? なのか。殆ど毎日誰かが顔を見せる。
仕事師と呼ばれる、大工・鳶・左官屋などのほか、農業を営む人たち、もちろん婦人会の面々。はては、御用聞きの酒屋や米屋もクリーニング屋まで。玄関は土間と板張りの上がり口だ、そこに座り込んで小一時間は話をして行く。
お茶を出し、菓子を出す。菓子が無ければキュウリや白菜の漬物だ。

なので、我が家は菓子類が絶えたことが無い。といっても私が自由に食べられる訳ではない。
黒川家は戦争中に軍隊の賄をやっていたと言う。試験場に駐屯していた陸軍の兵隊たちの飯の支度だ。家には引っ切り無しに人の出入りがあった。代わりに当時としては手に入りにくい白い米や肉・魚類にありつけたのだが、そのときの癖が抜けきれないのか、みきばあさんは誰か知り合いが通るたびに声をかける習性があった。点在しているこの先の村に行く休憩地のようになっていた。
もしかしたら、このばあさん一人ではいられない寂しい人なのかもしれない。

夜になると試験場の男たちや、年頃の娘である「明子おねえちゃん」の男友達などで酒盛りが始まる。これは毎日とは言わないまでも週に2回くらいは、私が眠れない夜になる。一緒に付き合わされるからだ。5歳の子供には余り健康的に良くないなんて、大人は酒が入れば関係ない。
隣の牛屋(前々回登場の中村牧場をそう言った)以外に回りは家が無いのだからドンチャン騒ぎをしても咎められない。今なら即、騒音防止条例で警察に通報だ。

おじいちゃんは下戸だ。そんな夜にどうしていたのかは、幼すぎて忘れてしまった。多分同席していたとは思うが…

そんなメンバーの中に、ガソリンスタンドに勤める人がいた。この人も昔、この夫婦に世話になっているらしい。時々ご機嫌伺いに来る。ちょっとした美男子である。ポマードで髪を固めたリーゼント、額にパラッと落ちた数本の髪の毛は流行っていたのか、当時としてはステイタスである車の燃料スタンドは今のように、そこいら中にある施設ではなかったので、花形職業なのだ。
その人がある日、サングラスをかけてオートバイで遊びに来た。これに私はまいった。格好が良いのだ。勿論、ヘルメットなど装着する義務がある時代ではない。
そして始めてみるバイク。今思えば125ccくらいの小型車なのだが、そのときは大きく見えた。当時流行った左右に張り出したサイドバンパーを前後につけていたと思う(これは転倒した時に車体のダメージを防ぐ役目がある)。真っ黒で重厚感のある奴だ。

その人(名前は忘れた)が言った。「シュウ、乗せてやろうか」。私は耳を疑った。
こんな凄いものに乗せて貰えるのかと。正直、私は怖かった。体験したことの無い乗り物。しかも2輪で不安定、凄い音がする。自転車もまだ乗ったことの無いものがバイクの後ろに乗るのは体験した人は分かると思う。しかし、好奇心が勝った。『ウン!』と答えた。
実は明日香の父親(裕次郎)もオートバイには乗っていたらしい。残念ながらそれには乗せてもらえなかった(4才や5才の子供を後ろに乗せるのも無謀だとは思うが)。

早速、後ろへ跨った。足が一杯に広がってしまう。街中を走っている昔のオートバイは主に運搬用である。助手席シートなどは点いていない。荷台に座布団を敷いて紐で縛る、運転手にしがみつく。
いや、最初は気楽に手を添えていただけだったが、直後にバイクの怖さが分かった。バスにしか乗ったことの無い子供には、その加速力たるや恐怖である。まして、それは傾く! 私も一緒に傾かされる。落ちそうになる。実際は遠心力で落ちはしない。
その人も5歳の子供を乗せて大人げない。多分フルスピードだったと思う。石ころだらけの未舗装道路を転んだらどうするきなのだろうか。どこに連れて行かれるのかも不安の一因だ。

ところが、20分も走った頃か、私の中に何か不思議な気持ちが沸いてきた。風の中を切り裂く爽快感、耳に響くオートバイの轟音が心地よいメロディーに変わってきた。傾くほどにスーッとした達成感みたいなものが…
アトはもうその走りに魅せられた私がいた。景色が後ろへと飛んでいく。運転手の脇の間から覗いている私の目に、道の線に沿ってトレースを描きカーブに飛び込む心地よい風景が見える。その瞬間「ファッ』とした感覚。「凄い!」こんな気持ちのよいことがあるんだ。
この人、未舗装のデコボコ道路をカウンターを当てながら、スムーズに走る。相当運転が上手かったのだろう。家に帰って来たとき、私は酔っていた。車酔いではない。「今度は自分で運転したい」と。残念ながら足も届かないそれを、まして幼い子供に運転させてくれる訳が無い。「いつかは乗るぞ」と心の中で呟いた。

私は16才になると同時に運転免許を取った。そうして今までに5台のオートバイを乗り継いだ。大きいものからカブまで。この時の感覚が忘れなれなかったことが起因している。もし、5才の時の体験が無かったら、オートバイには乗っていなかったかもしれない。

そろそろ秋も近づいた衝撃的な一日であった。

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