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「あえぐ夢」 懐かしき私の昭和 幼年期-13 [思い出]

人間は望まれて生まれ来る者と、仕方なしにこの世に出てくる奴がいる。それが裕福だとか貧乏だからとかは関係なく。 よくテレビで「親は皆、誰でも自分の子供が生まれてくるのを待焦がれている」とか「子供に差別なんか無い、皆可愛いのだ」などと理屈を言う評論家もいるが、それは違う。捨てられる子供もいれば、虐待を受けて殺されてしまう子もいる。

人間が皆、平等ならば世界の紛争地帯で被爆したり、親を殺されて餓死寸前で未来の無い、そんな子供は居ないのではないか。

私は親や兄弟からの愛情を奪われた人間だ。代わりの愛情を与えられたのかも知れないが、それは大人ならわかるかも知れないが、預けられ育てられると言う本物ではない代償の愛だ。しかし、子供心にそれでもいい、少しの間でもそんな情が欲しいと思うときもある。

秋も冬に向かって時々寒くなってきた頃、黒川家の長女である「夏江おばさん」がやってきた。 何故か明日香や勲は一緒ではなかった。一人でだ。何しに来たのかは解らない。法事とか、大事な用事なのだろう。子供二人を家に置いて出てくるのだから。 毎回来るように賑やかでもないし、私もはしゃいではいない。そんな雰囲気ではないように記憶している。

そして、たった一日ではあるが夏江おばさんは我が家「黒川家」へ泊まっていった。 この家、人が頻繁に来る割には家は狭い。当時は平屋の三間だ。茶の間と寝室、それに客間である。 普段なら子供たちが来るので客間(人が来るとそこが宴会場になる)に明子おねえちゃんと山部一家が寝ることになる。 が、この時はどういうわけか、寝室に(と言っても8畳の和室)川の字におじいちゃん、おばあちゃんと並んで寝ることになった。私はおばあちゃんと夏江おばさんの間に小さくなって眠ることになった。少し狭い。

この家は夜中になると静寂に包まれる。周りに何も無いのだから当たり前だが、遠くで汽車が走る音が聞こえたり、野犬の遠吠えがしたり夏江おばさんは静か過ぎて眠れないなんて言っていた。 タダ一つのことを抜かせばであるが… 隣が市立病院、少しはなれて大学病院と言うことは再三書いてきたが、それがあることを忘れてはならない。救急車が来るのだ。静か過ぎる空気を切り裂いて、今度は飛び起きんばかりに凄い音で通り過ぎていく。いや、私たちはもう慣れている。 しかし、たまに来て泊まる人たちはビックリするのだろう。静か過ぎるが煩かったに変わるのだ。耳を澄ませばそのサイレンが(当時はウーである、今のピーポーのような優しい音ではない)どちらの病院へ入るかがその音で分かるくらい毎日のことなので当たり前の生活だ。

その日も何回かサイレンが鳴ってから私は眠りについた。 晩秋だが、少し暑かったのかもしれない。私は布団をはだけて寝ていたらしい。最初に気が付いたのは優しく掛け布団をかけてくれる感触で眠りが浅くなった。おばあちゃんではない。この人の場合はバサッである。「ほら、チャント掛けて寝ろ」なんていいながら。今回の場合はソーッとである。やはり眠れないのであろう。深夜に私のことを気遣ってくれたのだから。と言うか、二人の子供を育てているのだからそんな習慣があるのかもしれない。

夜も終わり頃、外が明るくなり始めていた。遠くで雀が鳴き始めている。ふっと薄目が開いた。 私は夏江おばさんにピッタリ寄り添っていた。寝返りを打っておばさんの方へ転がって行ってしまったのだ。 幼い心で、私は思った。「いけない、この人は他所の人だ」。慌てて逆の方へ転がって寝返りを打った。小さく縮こまりながら。朝方は寒くなってくる季節だ。冷えたので温もりを探しているのだろうかとも思った。だが、布団を掛ければよいことなのだ。 何分経っただろう。気が着いた時にはまた、スッポリとおばさんに寄り添ってしまったのだ。「明日香のおかあさんだ」と言う気持ちが私をもう一度行動させた。自分の寝床に戻ろうと。 3回目に目を開けた時には夏江おばさんが私の背中に手を回して抱いていてくれた。温かかった。女の人の…と言うより、お母さんの胸の中のようだった。そして心地よくまた眠りについた。一時の幸せを噛み締めながら。

私は親の懐で寝たことは一度も無い。おそらく潜在意識か動物的本能で母親を求めたのかもしれない。懐かしいような、それでいて今までに感じたことの無い感覚だったことを覚えている。胸に顔を埋めて思いっきり甘えてみたい、と日頃からの願望が出た夜だったのだ。そして、叶った。一度だけ。

その日から、「夏江おばさん」は私の憧れの人となった。愛とか恋ではないが、何か淡い・いとおしい気持ちでその人を見るようになった。 そういえばこの人は私の前で怒った顔や態度を見せたことが無かった。多分おじいちゃんの温和な性格を継いだのだろう。

最初に書いたように代償の愛にしても、黒川の夫婦は私に対して充分な躾と教育は施してくれた。それは一生を掛けて感謝することなのだが、その一方で「お前は他所の子だ」と言うことは、特におばあちゃんがケジメをつけていた。怒られて泣いたことはあっても彼女の前で、寂しいからとか親の愛が欲しいからと涙を見せたことは覚えていない。甘えられないことを子供心に感じていたのだろう。

だからこそ、あの夜のあの甘えさせてくれた、「代わり」ではあるけれど私の気持ちを分かってくれたおばさんの「母の優しさ」を今でも覚えているのだ。

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少し以前の失敗談 tom room:「悲しき軽運送屋の顛末記」


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